東京証券取引所は、グロース市場の時価総額に係る上場維持基準を、「上場10年経過後・時価総額40億円以上」から「上場5年経過後・時価総額100億円以上」へ引き上げる規則改正を2025年12月に施行しました。新基準は2030年3月1日以後最初に到来する事業年度の末日から適用されます。東証の公表資料によれば、2026年6月末時点のグロース市場上場会社594社のうち、時価総額が100億円未満の会社は398社(約67%)にのぼります。
この見直しは上場会社の問題にとどまりません。基準への適合を迫られる上場会社は、M&Aによる規模拡大、他市場への市場区分変更、非公開化といった選択を迫られ、その相手方・取引先となるのは多くの場合、非上場の中小企業です。本稿では、①上場維持基準見直しの内容と上場廃止に至る手続、②見直しの趣旨と市場の現状、③基準未達の上場会社が取り得る選択肢、④非上場企業が上場会社から買収提案を受けた場合の法務上の留意点(デューデリジェンス・表明保証・インサイダー取引規制)、⑤取引先の上場廃止・株主変更への契約上の備え、⑥新規上場を目指す企業への影響を整理し、企業が点検すべき事項とFAQを示します。
1 グロース市場の上場維持基準見直しの内容
(1)基準の引上げと適用時期
グロース市場の時価総額基準は、従前「上場後10年経過後から40億円以上」でしたが、見直し後は「上場5年経過後から100億円以上」となります。期間は半分、金額は2.5倍です。東証は2025年9月26日に制度要綱を公表して意見募集(同年10月26日まで)を行い、2025年12月に規則改正を施行しました。新基準の適用は2030年3月1日以後最初に到来する事業年度の末日からであり、3月決算会社であれば2030年3月末が最初の判定基準日となります。なお、新規上場基準は見直しの対象とされていません。
(2)基準未達から上場廃止に至る手続
上場維持基準に適合しない状態となった場合、上場会社は1年間の改善期間に入り、改善期間内に基準に適合しなかったときは、監理銘柄・整理銘柄の指定期間(東証が示す3月決算会社の日程例では6か月間)を経て上場廃止となります。また、基準に適合しない状態となった上場会社は、3か月以内に、基準に適合するための取組みおよびその実施時期を記載した計画を開示する必要があります。
(3)既上場会社に対する経過的な取扱い
十分な助走期間を設ける観点から、2030年3月1日以後最初に到来する事業年度の末日後3か月以内に開示する適合計画において、2031年3月1日以後最初に到来する事業年度の末日を超える計画期間を設定した会社については、当該計画期間の末日まで上場廃止が猶予されます。判定時点で上場後5年を経過していない会社(かつ時価総額100億円未満)についても、3か月以内に適合計画を開示した場合に限り同様に猶予されます。他方、見直し前の基準(上場10年経過後40億円)にも適合しない状態となった場合には、改善のための期間を設けず速やかに上場廃止が決定されます。東証は、2022年の市場区分見直しに際して設けた経過措置において長い期間の計画を開示した上場会社が投資者から評価されず株価が下落したとのデータを示しており、計画期間の設定は市場評価に直結します。
2 見直しの趣旨と市場の現状
東証は見直しの趣旨として、グロース市場上場会社に機関投資家の投資対象となり得る規模への早期の成長を促すとともに、企業間のM&Aや起業家の次なる創業などを促進することを挙げています。100億円という水準については、パブリック・コメントへの回答において、中小型株式に投資する機関投資家からも最低限100億円以上は必要との声が多く寄せられたこと、変化の速い事業を営む企業が多いグロース市場の特性に照らし10年は長すぎるとの声が多かったことを理由としています。
東証の参考データによれば、直近の時価総額が上場時を下回る企業が約半数を占め、新規上場時から時価総額が10倍以上に成長した会社は6%(49社)にとどまります。2026年6月末時点のグロース上場会社の時価総額の中央値は64億円で、新市場区分移行日(2022年4月4日)を100とした株価指数は、プライム市場205.1に対しグロース市場87.9です。また、グロース市場は売買・保有のいずれにおいても個人投資家が過半を占めています。
3 基準未達の上場会社が取り得る選択肢
(1)M&Aによる規模拡大(インオーガニック成長)
自律的成長のみで基準到達が見込めない上場会社にとって、他社の買収は最も直接的な手段です。東証の資料では、グロース上場企業が買い手となるM&Aは増加傾向にあり、同資料のグラフによれば2022年の60件台から2025年には170件台に増加しています。グロース上場企業が外部の買い手に子会社化・合併等をされて上場廃止に至った件数も、2022年の3件から2025年は13件に増えています。買収対象の多くは非上場企業であり、非上場の中小企業にとっては売却の機会が拡大していることを意味します。
(2)スタンダード市場への市場区分変更
グロース市場からスタンダード市場への市場区分変更は、2024年の2社から2025年は13社に増加しました。東証は、直接には市場区分見直しに伴う経過措置の終了を受けたものとしつつ、2030年から新たな上場維持基準が適用されることを踏まえ今後も増える可能性があるとしています。もっとも、スタンダード市場においても企業価値向上が求められることに変わりはありません。
(3)非公開化(TOB・MBO)
上場の維持自体を断念し、経営陣による買収(MBO)や第三者による株式公開買付け(TOB)を通じて非公開化する選択肢もあります。東京商工リサーチの調査では、2025年に上場廃止を前提としたTOBは80社、MBOは32社で、合計112社にのぼりました(全市場)。
4 非上場企業が上場会社から買収提案を受けた場合の留意点
(1)デューデリジェンスへの備え
上場会社は株主に対する説明責任を負うため、買収前のデューデリジェンスは詳細に行われます。契約書を欠く取引、未払残業代その他の労務コンプライアンス、許認可の有無と承継可能性、知的財産権の帰属、株主名簿の正確性、主要契約のチェンジ・オブ・コントロール条項などが典型的な確認項目です。不備が発見されれば、譲渡価格の減額、特別な補償条項の追加、あるいは取引自体の中止につながります。提案を受けてから整備を始めるのでは時間が不足するため、平時からの整備が売却条件を左右します。
(2)表明保証と補償条項
株式譲渡契約では、売主が対象会社の財務・法令遵守・簿外債務の不存在等について表明保証を行い、その違反があった場合の補償(損害賠償)や解除が定められるのが通常です。表明保証違反は、クロージング後であっても売主の金銭的責任につながります。売主側としては、表明保証の範囲を限定し、「売主の知る限り」といった認識による限定を付すこと、開示済み事項を除外すること、補償の上限額・下限額および請求期間を明確に定めることを交渉すべきです。中小企業庁の「中小M&Aガイドライン(第3版)」も、表明保証や経営者保証の取扱いをめぐるリスクに留意するよう求めています。
(3)インサイダー取引規制と情報管理
金融商品取引法166条は、上場会社と契約を締結している者または締結の交渉をしている者(法人の場合はその役員等を含む)が、契約の締結・交渉・履行に関して上場会社の業務等に関する重要事実を知った場合、その公表前に当該上場会社の株式等の売買等をすることを禁止しています(同条1項4号)。また、会社関係者から重要事実の伝達を受けた者も同様に規制され(同条3項)、会社関係者が他人に利益を得させる目的で未公表の重要事実を伝達し、または売買等を勧めることも禁止されています(167条の2)。上場会社による買収の交渉は、それ自体が重要事実に該当し得るため、売主となる非上場企業の経営者・役員・関与する従業員は、交渉の事実を家族や知人に伝えないことを含め、秘密保持契約の遵守と社内の情報管理体制(関与者の限定、情報の取扱記録)を徹底する必要があります。
5 取引先の上場廃止・株主変更への契約上の備え
取引先が市場区分を変更し、または上場廃止となっても、それ自体は倒産ではなく、契約関係は当然には影響を受けません。他方、買収やMBOにより支配株主が変わると、取引方針や与信の前提が変わることがあります。主要な取引基本契約について、相手方の支配権の変更があった場合の通知義務や解除権を定めるチェンジ・オブ・コントロール条項の有無を確認し、必要に応じて契約更新時に追加を交渉することが考えられます。また、上場廃止により有価証券報告書等の開示がなくなるため、公開情報を与信管理に用いていた場合には、決算書類の定期的な提出義務を契約に定めておくことが有効です。
上場会社の役員・従業員がストックオプションを保有している場合、上場廃止や買収の際の取扱いは、新株予約権の発行要項および割当契約の定めによります。上場を権利行使の条件とする定めも多く、上場廃止により事実上行使できなくなる場合があるため、内容の確認が必要です。
6 新規上場を目指す企業への影響
東証は、新規上場基準の見直しは行わず、引き続き時価総額100億円未満の規模で上場し、上場後に高い成長を目指すことは可能であるとしています。もっとも、2025年12月の新規上場ガイドブック(グロース市場編)の改訂により、上場時に見込まれる時価総額が100億円未満の会社は、上場日に開示する「事業計画及び成長可能性に関する事項」において、見直し後の上場維持基準への適合を意識した成長戦略を記載することが求められます(2025年12月末日以後の新規上場申請から)。同ガイドブックは「株式の上場はあくまでも企業価値向上のための手段」と明記しています。東証の資料によれば、グロース市場へのIPO企業の初値時価総額の中央値は2024年の88億円から2025年は125億円に上昇しており、上場企業の大型化が進んでいます。
上場を目指す企業においては、上場後5年で時価総額100億円に到達する成長戦略を説明できるかが、資本政策と出口戦略の前提となります。ベンチャーキャピタル等との投資契約や株主間契約には、上場に向けた努力義務や、一定期間内に上場しない場合の株式買取請求、M&Aの際の売却代金の分配(みなし清算条項)などが定められていることが多く、出口がIPOではなくM&Aとなった場合の帰結を契約締結時に確認しておく必要があります。
企業が点検すべき事項
- 主要な取引基本契約に、相手方の支配権変更時の通知義務・解除権(チェンジ・オブ・コントロール条項)が定められているか。
- 上場取引先の公開情報に依拠して与信判断をしている場合、上場廃止後も決算書類の提出を受けられる契約上の手当てがあるか。
- 契約書を欠く取引が残っていないか。主要取引の契約書が締結・保管され、自動更新・解除条項の内容を把握しているか。
- 未払残業代、労働時間管理、就業規則・労使協定の整備など、労務コンプライアンスがデューデリジェンスに耐える水準にあるか。
- 事業に必要な許認可の取得状況と、株式譲渡・事業譲渡の際の承継・届出の要否を把握しているか。
- 知的財産権(ソフトウェア・デザイン・商標等)が会社に帰属しているか。外注先・役員個人に権利が残っていないか。
- 株主名簿が正確で、名義株や所在不明株主、株式の譲渡承認手続の不備がないか。
- 買収提案を受けた場合に、秘密保持契約の締結、関与者の限定、情報の取扱記録など、インサイダー取引規制を意識した情報管理を行う社内手順があるか。
- 株式譲渡契約の表明保証・補償条項について、範囲・上限額・請求期間を交渉できる専門家の支援体制があるか。
- (上場を目指す企業)投資契約・株主間契約における上場努力義務、株式買取請求、みなし清算条項の内容を確認し、出口がM&Aとなった場合の帰結を把握しているか。
よくあるご質問
Q. 当社は上場を予定していません。グロース市場の上場維持基準の見直しは当社に関係がありますか。
A. 関係があります。2026年6月末時点でグロース市場上場会社の約67%(398社)が時価総額100億円未満であり、これらの会社は2030年からの新基準適用に向けて、M&Aによる規模拡大、市場区分の変更、非公開化などを検討することになります。買収の対象となるのは主に非上場企業であり、また取引先である上場会社の株主が変わることで取引条件が見直される可能性もあります。売却の機会に備えた社内体制の整備と、取引基本契約の条項確認を進めておくことをお勧めします。
Q. 上場会社から当社株式を買いたいとの打診を受けました。まず何に注意すべきですか。
A. まず秘密保持契約を締結し、交渉の事実を知る社内外の関与者を限定してください。上場会社との締結交渉の過程で知った未公表の重要事実を利用した株式の売買や、他人への伝達・推奨は、金融商品取引法166条・167条の2により規制されます。そのうえで、デューデリジェンスで指摘を受けやすい契約書・労務・許認可・知的財産・株主名簿の状況を確認し、最終契約の表明保証の範囲、補償の上限額と請求期間、経営者保証の解除の扱いについて、弁護士の関与のもとで交渉することが重要です。
Q. 主要な取引先が上場廃止になると発表しました。取引を見直すべきですか。
A. 上場廃止は倒産ではなく、契約関係は当然には影響を受けないため、直ちに取引を停止する必要はありません。ただし、MBOや買収による上場廃止の場合は支配株主が変わり、取引方針が変更されることがあります。取引基本契約のチェンジ・オブ・コントロール条項の有無、契約期間と解除条件を確認し、上場廃止後は開示情報が減ることから、決算書類の提出を受けられるよう契約更新時に条項を追加することを検討してください。
Q. グロース市場に時価総額100億円未満で上場することは今後もできますか。
A. 新規上場基準は変更されておらず、東証も時価総額100億円未満の規模で上場し上場後に高い成長を目指すことは可能としています。ただし、上場時に見込まれる時価総額が100億円未満の場合には、上場日に開示する「事業計画及び成長可能性に関する事項」において、上場5年経過後に時価総額100億円以上という新たな上場維持基準への適合を意識した成長戦略の記載が求められます。上場後5年での到達可能性を前提に、上場の目的とタイミングを検討する必要があります。
まとめ
グロース市場の上場維持基準は「上場5年経過後・時価総額100億円以上」に引き上げられ、2030年3月以後最初の期末から適用されます。未達の場合は改善期間1年と監理・整理銘柄の指定を経て上場廃止に至り、適合計画による猶予にも見直し前基準の割込みという限界があります。基準に届かない約400社の動向は、M&Aの買い手としての買収提案、市場区分の変更、非公開化による取引先の株主変更という形で非上場の中小企業に波及します。デューデリジェンスに耐える契約書・労務・許認可・株主関係の整備、表明保証と補償条項の交渉、インサイダー取引規制を踏まえた情報管理、そして取引基本契約のチェンジ・オブ・コントロール条項と決算書提出条項の確認を、平時から進めておくことが重要です。
参考資料
- 東京証券取引所「グロース市場の上場維持基準の見直し等について」(2025年9月26日)/同「『グロース市場の上場維持基準の見直し等について』に寄せられたパブリック・コメントの結果について」
- 日本取引所グループ「上場維持基準の詳細(時価総額)」/東京証券取引所「グロース市場の機能発揮に向けた対応」
- 東京証券取引所「グロース市場改革の取組みと参考データ」(2026年8月21日)/東京証券取引所・日本取引所自主規制法人「グロース市場の上場維持基準見直しに伴う対応について」(2025年12月9日)
- 東京商工リサーチ「2025年、上場廃止への『TOB・MBO』は112社」
- 中小企業庁「中小M&Aガイドライン(第3版)」
- 金融商品取引法(e-Gov法令検索)(第166条・第167条の2)
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