投資契約の交渉において、経営株主の関心は調達額と株価(バリュエーション)に集中しがちです。しかし、Exit時に経営株主が実際に受領する金額を決定するのは、調達額でも持株比率でもなく、残余財産の優先分配に関する条項の設計です。同一の売却価額であっても、優先分配の倍率および参加の有無により、経営株主の受領額は大きく変動します。本稿では、条項の逐条的な解説ではなく、経済条件がExit対価にもたらす変動を設例に基づいて定量的に検証し、そのうえで交渉上の優先順位をどのように設定すべきかを整理します。個々の条項の一般的な意義については、当事務所コラム「ベンチャーキャピタルからの資金調達の法務」および「シリーズAの投資契約で創業者が注意すべき重要条項」も併せてご参照ください。
1. 投資契約の経済条件を検証する意義
投資家が引き受ける株式は、多くの場合、普通株式ではなく優先株式です。会社法は、剰余金の配当および残余財産の分配等について内容の異なる2以上の種類の株式を発行することを認めており(会社法108条1項1号・2号)、優先株式はこれを根拠とします。そして、残余財産の分配に関する取扱いの内容は定款で定める必要があります(同条2項2号)。
優先分配に関する条項は、単独では清算時にのみ機能します。これを会社の売却(M&A)の場面にも及ぼすのが「みなし清算条項」であり、実務上は両者が一体として設計されます。株式譲渡によるExitが大半を占める我が国の実情に照らせば、みなし清算条項の有無および優先分配の条件は、経営株主にとって最も直接的に経済的帰結を左右する事項です。
交渉の相場観については、経済産業省が「スタートアップ投資契約ガイドライン(我が国における健全なベンチャー投資に係る契約の主たる留意事項)」を公表しています。同ガイドラインは平成30年に策定され、令和4年に改訂されたのち、令和7年9月に増補版が策定されました。条項ごとの意義および留意点が整理されており、タームシートの検討段階で参照する価値があります。
2. 設例による検証 ― 同一の売却価額における経営株主の受領額
以下の設例により、優先分配の条件が経営株主の受領額に与える影響を検証します。前提は、投資家が2億円を出資して株式の20%を取得し、数年後に会社の全株式が3億円で売却されたというものです。経営株主は残余の80%を保有しています。議論を単純化するため、税負担、取引費用および複数ラウンドの存在は捨象します。
持株比率のみを前提とすれば、経営株主の受領額は3億円×80%=2億4,000万円となります。しかし、優先分配の条件により、実際の分配は次のとおり変動します。
(1) 優先分配の定めがない場合(普通株式のみ)
持株比率に応じた分配となり、投資家6,000万円、経営株主2億4,000万円です。投資家は出資額2億円を大きく下回る回収にとどまるため、投資家側がこの設計を受け入れる例は限定的です。
(2) 1倍・非参加型の場合
投資家は、①優先分配額(出資額の1倍=2億円)を受領するか、②優先株式を普通株式に転換して持株比率に応じた分配(3億円×20%=6,000万円)を受けるかのいずれか一方を選択します。本設例では①が有利であるため2億円を受領し、残余の1億円が普通株主である経営株主に分配されます。経営株主の受領額は1億円です。
(3) 1倍・参加型の場合
投資家は優先分配額2億円を受領したうえで、残余の1億円についても持株比率20%に応じた分配(2,000万円)を受けます。投資家の受領額は合計2億2,000万円、経営株主の受領額は8,000万円です。倍率は同じ1倍であっても、参加の有無により経営株主の受領額は2,000万円減少します。
(4) 2倍・参加型の場合
投資家の優先分配額は出資額の2倍である4億円となります。売却価額3億円は優先分配額に満たないため、3億円の全額が投資家に分配され、経営株主の受領額は0円です。80%の株式を保有していても、分配を受けられません。
以上のとおり、売却価額はいずれも3億円で同一であるにもかかわらず、経営株主の受領額は2億4,000万円から0円まで変動します。変動の原因は契約文言のみであり、かつ、この帰結は契約に従った適法なものです。締結後に事後的な救済を求めることは、原則として困難です。したがって、タームシートの段階で、想定される複数のExit価額について分配額を試算し、条件の経済的意味を把握したうえで交渉に臨む必要があります。
3. 優先分配以外に確認を要する条項
(1) 先買権および共同売却権
株主は、その有する株式を譲渡することができるのが原則です(会社法127条)。先買権および共同売却権は、この譲渡の自由を契約により制限するものであり、経営株主が保有株式の一部を譲渡しようとする場合に、投資家が優先的に買い受け、または同一条件での共同売却を請求することを可能とします。
実務上留意すべきは、これらの権利が経営株主のみを拘束する片面的な設計とされている例が少なくない点です。投資家による持分の譲渡は自由である一方、経営株主による譲渡のみが制限される結果、経営株主は自らの保有株式について流動性を失います。相互的な適用とすること、または経営株主に一定割合までの自由譲渡枠を留保することが、交渉上の着地点となり得ます。
(2) 希薄化防止条項
直前ラウンドを下回る株価による新株発行(ダウンラウンド)が行われた場合に、既存投資家の持分の希薄化を調整する条項です。調整方式には、転換価額を新発行価額まで引き下げるフルラチェット方式と、発行株数および調達額を加味して調整する加重平均方式があります。
フルラチェット方式は、発行規模の多寡を問わず転換価額を新発行価額まで引き下げるため、少額のダウンラウンドであっても経営株主の持分に大きな希薄化をもたらします。我が国の実務における標準的な取扱いは加重平均方式であり、フルラチェット方式が提示された場合には、その合理性について説明を求め、加重平均方式への修正を求めることが交渉の出発点となります。
(3) 強制売却権(ドラッグアロング)
一定の要件を満たす場合に、反対する株主を含む全株主に対し、同一条件での株式譲渡を強制する権利です。発動要件は契約により自由に設計されるため、要件の内容が経営株主の関与の程度を決定します。確認すべきは、①発動に必要な同意の主体および割合(経営株主の同意が要件に含まれているか)、②最低売却価額の定めの有無、③経営株主の拒否権の有無の3点です。これらがいずれも緩やかな設計である場合、経営株主は売却の時期および価額について実質的な決定権を有しないことになります。
4. 創業者株式の買取条項と自己株式取得の財源規制
経営株主が在任期間の途中で退任した場合に、会社または投資家がその保有株式を取得できる旨を定める条項です(リバースベスティング、コーラブル条項等と呼称されます)。事業への継続的な関与を前提として株式を保有させるという趣旨自体には合理性があり、その全面的な削除を求める交渉が奏功する例は多くありません。交渉の重点は、次の2点に置くのが実務的です。
第1に、買取価額の算定方法です。買取価額が取得時の払込金額に固定されている場合、企業価値の増加分は一切考慮されません。設立時に10万円で引き受けた株式が、その後の事業成長により相当の価値を有するに至っていても、買取価額は10万円にとどまります。時価または直近ラウンドの発行価額を基準とする定め、あるいは在任期間に応じた段階的な算定方法とすることが考えられます。
第2に、退任事由による区別の有無です。自らの意思による辞任、傷病による退任、会社都合による退任、および非違行為を理由とする解任を同一に取り扱う設計は、経営株主を役員の地位から排除したうえで株式を低廉に取得することを可能とします。いわゆるGood Leaver/Bad Leaverの区別を設け、退任事由に応じて買取価額および買取対象株式数を異ならせることが、交渉の中心となります。
あわせて、買取義務の主体を確認する必要があります。会社が買主とされている場合であっても、会社が自己株式を取得するときは、株主に対して交付する金銭等の総額が分配可能額を超えることができません(会社法461条1項2号・3号)。また、特定の株主からの取得については、原則として株主総会の特別決議を要します(同法156条1項、160条1項、309条2項2号)。分配可能額が不足する場合または所要の決議が得られない場合に、他の株主もしくは経営株主が補充的に買取義務を負う建付けとされていることがあり、その場合は個人の資力に直接影響します。
5. 表明保証違反に基づく経営株主個人の買戻義務
投資契約には、会社の財務および法務に関する事項について、経営株主が真実かつ正確であることを表明し保証する条項が置かれるのが通例です。表明保証の対象は、計算書類の正確性、簿外債務の不存在、労務関係法令の遵守、知的財産権の帰属、係属中の紛争の不存在等に及びます。
表明保証違反があった場合の効果として、損害賠償のほかに、投資家が経営株主に対して株式の買戻しを請求できる旨の条項が置かれることがあります。実務上最も留意を要するのは、この買戻義務の主体が会社ではなく経営株主個人とされている場合です。この場合、経営株主は、出資額に相当する金額に一定の利息を付した金額を、自己の個人資産から支払う義務を負います。2億円の調達であれば、経営株主個人が2億円および利息相当額を負担することになります。しかも、未払割増賃金の存在のように、経営株主が現に認識していなかった事由が違反の原因となることは十分にあり得ます。
対応の第一順位は、経営株主個人を買戻義務の主体から除外することです。これが困難な場合には、次の4点により責任の範囲を画することを求めます。
- 対象事項の限定 ― 表明保証の対象を、経営株主が自ら把握し、かつ管理し得る事項に限定する
- 責任額の上限(キャップ) ― 責任の総額に上限を設ける。出資額(払込金額)を上限とすることが出発点となる
- 知る限りの留保 ― 「経営株主の知る限り」との限定を付し、認識していなかった事由について責任を負わないものとする
- 請求可能期間および下限額 ― 請求可能期間を限定し、あわせて1件あたりの下限額(デミニミス)を設ける
これらは相互に補完的です。上限のみを設けても対象事項が広汎なままであれば請求の蓋然性は低下せず、他方で対象事項を限定しても上限がなければ責任額が青天井となります。4点を一体として設計する必要があります。
点検事項
- みなし清算条項の有無、および残余財産の優先分配の倍率を確認しているか(我が国の実務における標準は1倍)
- 優先分配が参加型か非参加型かを確認し、参加型である場合の経済的影響を試算しているか
- 想定される複数のExit価額について、経営株主の受領額を条件別に試算しているか
- 先買権・共同売却権が経営株主のみを拘束する片面的な設計となっていないか
- 希薄化防止条項の調整方式が加重平均方式となっているか(フルラチェット方式の場合は修正を求めているか)
- 強制売却権の発動要件について、同意の主体および割合、最低売却価額、拒否権の3点を確認しているか
- 創業者株式の買取条項について、買取価額の算定方法および退任事由による区別(Good Leaver/Bad Leaver)が設けられているか
- 買取義務および買戻義務の主体を確認し、分配可能額の不足時に経営株主個人に義務が及ぶ建付けとなっていないか
- 表明保証について、対象事項の限定、責任額の上限、知る限りの留保、請求可能期間および下限額の4点が定められているか
- 投資契約書、株主間契約書および発行要項(定款を含む)を横断的に検討し、相互の整合性を確認しているか
よくあるご質問
Q. 優先分配の倍率が1倍であれば、参加型か非参加型かは重視しなくてよいですか。
倍率が1倍であっても、参加型か非参加型かによりExit時の分配額は異なります。本稿の設例では、1倍・非参加型の場合の経営株主の受領額は1億円ですが、1倍・参加型の場合は8,000万円となります。参加型では、優先分配額を控除した残余部分の分配にも投資家が持株比率で参加するためです。倍率と参加の有無は、いずれもタームシートの段階で確認すべき事項です。
Q. 創業者株式の買取条項は、会社が買主となる定めであれば経営株主個人の負担は生じませんか。
会社が自己株式を取得する場合、株主に交付する金銭等の総額は分配可能額を超えることができず(会社法461条1項2号・3号)、特定の株主からの取得には原則として株主総会の特別決議を要します(同法156条1項、160条1項、309条2項2号)。分配可能額が不足する場合や所要の決議が得られない場合に、他の株主または経営株主が買取義務を負う建付けとされていることがあり、結果として個人に負担が及びます。買主および補充的な義務者の定めを確認する必要があります。
Q. 表明保証違反に基づく買戻義務について、責任の上限はどの水準を出発点とすべきですか。
経営株主個人が義務者となる場合、出資額(払込金額)を上限とすることを出発点とし、対象事項の範囲、知る限りの留保、請求可能期間および1件あたりの下限額と併せて全体の責任枠を設計するのが実務的です。上限の設定のみでは、対象事項が広汎なまま残れば請求の可能性自体は減少しないため、4要素を併せて交渉する必要があります。
参考資料
- 経済産業省「スタートアップ投資契約ガイドライン(我が国における健全なベンチャー投資に係る契約の主たる留意事項)」(平成30年策定・令和4年改訂・令和7年増補版)
- e-Gov法令検索「会社法」(108条・127条・156条・160条・309条・461条)
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投資契約の経済条件は、締結後に変更することが事実上困難です。他方で、タームシートの提示から契約締結までの期間は限られており、その間に3種類の書面を横断的に検討し、条件の経済的意味を試算したうえで修正の優先順位を判断する必要があります。当事務所では、資本政策の設計段階からの関与、タームシートの検討、投資契約・株主間契約の交渉および種類株式の設計について、継続的に対応しています。
本コラムは一般的な情報提供を目的とするものであり、個別の事案に対する法的助言ではありません。各条項の内容および有利不利は個別の契約文言により異なります。本稿の金額は設例に基づく計算例であり、税負担および取引費用は考慮していません。実際のご対応にあたっては、最新の法令をご確認のうえ、専門家にご相談ください。
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