退職勧奨と解雇は、いずれも使用者が労働者に退職を求める場面で問題となりますが、法的な構造は全く異なります。経営者が「退職勧奨のつもり」で発した言葉が、後に解雇の意思表示と評価され、解雇権濫用法理(労働契約法16条)のもとで無効と判断されて賃金の支払を命じられる事例は少なくありません。
厚生労働省の「令和6年度個別労働紛争解決制度の施行状況」によれば、2024年度に総合労働相談コーナーに寄せられた民事上の個別労働紛争の相談267,755件のうち、「解雇」は32,059件、「自己都合退職」は41,502件、「退職勧奨」は25,604件でした。雇用終了をめぐる相談だけで約10万件に上り、「辞めさせられた」と「辞めさせたつもりはない」という認識の相違が、日常的に紛争として顕在化していることがうかがえます。本稿では、使用者の発言が解雇の意思表示と評価された裁判例を素材に、退職勧奨と解雇の境界と、解雇と誤認されない退職勧奨の設計を整理します。
1 退職勧奨と解雇の法的構造
(1)退職勧奨 ― 合意解約に向けた説得
退職勧奨は、使用者が労働者に対して退職を勧め、労働契約の合意解約(合意退職)に向けて説得する行為です。労働者には応じる義務はなく、労働者が退職の意思表示をして初めて労働契約が終了します。厚生労働省も、退職勧奨とは使用者が労働者に対し「辞めてほしい」「辞めてくれないか」などと言って退職を勧めることであり、労働者の意思とは関係なく会社が一方的に契約の解除を通告する解雇予告とは異なると説明しています。
(2)解雇 ― 使用者の一方的な意思表示
解雇は、使用者による労働契約の一方的な解約の意思表示であり、労働者の同意を要しません。解雇の意思表示の方式について法律上の定めはなく、口頭で申し渡しても文書で通知しても差し支えないとされています。したがって、「解雇」という語を用いず、書面も交付していなくても、労働者に対して確定的に労働契約を終了させる旨の意思が表示されたと評価されれば、解雇の意思表示は成立します。厚生労働省の労働法テキストは、「君はこの会社に合わないからもう来なくていいよ」との発言を、会社からの申し出による一方的な労働契約の終了(解雇)の例として挙げています。
(3)解雇か否かの判断は客観的に行われる
ある発言が解雇の意思表示に当たるかは、発言者の内心(「退職勧奨のつもりだった」)ではなく、発言の文言、発言に至る経緯、発言者の地位・権限、発言後の使用者の対応(就労の受領拒否、社会保険の喪失手続、離職票の交付等)といった客観的な事情から判断されます。使用者が後から「解雇ではない」と主張しても、労働者が「辞めさせられた」と受け取ることが自然な言動であれば、解雇の通告と評価される可能性があります。
(4)解雇理由証明書の請求
労働者は、退職の場合に退職の事由(解雇の場合はその理由を含む)について証明書を請求することができ、解雇の予告がされた日から退職の日までの間も、解雇の理由について証明書を請求することができます。使用者は遅滞なくこれを交付しなければなりません(労働基準法22条1項・2項)。退職勧奨のつもりで「辞めてくれ」と告げた直後に解雇理由証明書の交付を求められた使用者は、「解雇ではない」と主張して就労を受け入れるか、解雇の理由を書面で示すかの選択を迫られることになり、この段階で自らの発言が解雇と受け止められていることに気付く例が多くみられます。
2 解雇と評価された場合の帰結
(1)解雇権濫用法理と解雇回避努力
解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合には、権利を濫用したものとして無効となります(労働契約法16条)。社会通念上の相当性の判断においては、解雇事由該当性、労働者の行為態様、本人の情状、他の処分例との均衡とともに、使用者側の対応(解雇回避努力等)が考慮されます。注意指導、改善機会の付与、配置転換の検討、退職勧奨といった解雇に先立つ手続を経ていない解雇は、相当性を欠くと判断されやすくなります。
退職勧奨は本来、解雇を回避するために解雇に先立って行う手段です。ところが、退職勧奨の過程での発言そのものが解雇の意思表示と評価されると、使用者は、注意指導も配置転換も退職勧奨も経ていない段階で解雇したものとして、労働契約法16条の審査を受けることになります。
(2)解雇予告・解雇予告手当
使用者は、労働者を解雇しようとする場合、少なくとも30日前に予告をするか、30日分以上の平均賃金(解雇予告手当)を支払わなければなりません(労働基準法20条1項)。「明日から来なくていい」との発言が即時解雇の意思表示と評価された場合、予告も予告手当の支払もない解雇となり、後述の丸一商店事件のように解雇予告手当の支払を命じられることがあります。
(3)解雇無効の経済的帰結
解雇が無効と判断された場合、労働契約は存続していたことになり、解雇後の期間について賃金(いわゆるバックペイ)の支払義務が生じます。労働政策研究・研修機構の調査によれば、解雇事案の裁判上の和解における解決金の中央値は300万円(月収換算7.3か月分)、労働審判における解決金の中央値は150万円(同4.7か月分)とされています。
3 使用者の発言が解雇と評価された裁判例
(1)丸一商店事件(大阪地裁平成10年10月30日判決・労働判例750号29頁)
会社代表者が、残業代を請求した従業員に対し、今後残業代は支払えないので残業をつけないか、それが嫌なら辞めてほしい旨を告げ、従業員が退職した事案です。会社は任意の退職であり解雇ではないと主張しましたが、裁判所は、従業員が自ら退職の意思表示をしたと一応いえるとしても、残業代請求権を将来にわたり放棄するか退職するかの二者択一を迫られた状況で退職を選んだものであり、自発的な意思によるものとはいえないとして、代表者の発言を実質的に解雇の意思表示に当たると評価しました。そのように解さなければ、使用者が労働基準法に違反する労働条件を押し付けて退職させ、解雇予告手当の支払を免れることになり相当でない、というのがその理由です。その結果、使用者は解雇予告手当の支払義務を負うとされました。
この判決が示すのは、労働者の「辞めます」という発言を引き出したとしても、使用者がその発言をせざるを得ない状況を作出していれば、退職ではなく解雇と評価されるという構造です。「辞めると言ったのは本人である」という主張は、発言に至る経緯を踏まえて退けられます。
(2)あっせん事案にみる類型
労働政策研究・研修機構が都道府県労働局のあっせん事案を分析した労働政策研究報告書No.133(第1章「非解雇型雇用終了事案」)には、同様の構図の事案が整理されています。求人票の記載と実際の賃金が異なる理由を尋ねた労働者に対し「気に入らなければ辞めて貰ってもよい」と告げられ退職した事案、出向元の相談窓口に相談したところ社長から「明日から来るな」と言われ退社した事案などであり、いずれも労働者側は「辞めさせられた」として申請しています。賃金・労働条件に関する申出への反応として退職を示唆する発言は、解雇または違法な退職強要と評価されやすい類型といえます。
(3)名古屋高裁令和元年10月25日判決(労働判例1222号71頁)
テーマパークを運営する会社の人事部長が、退職勧奨を拒否した従業員に対し「明日から出社しなくてよい」旨を告げ、別の従業員にも同様の発言をした事案です。会社は解雇の意思表示をしていないと主張しました。第一審の津地裁伊勢支部(2019年3月判決)は、人事部長の発言を解雇の通告とも退職の合意とも認めず、労働契約は存続しており、従業員らは人事部長の指示に従って就労しなかったにすぎないとして、就労していない期間の賃金請求を認めたと報じられています。控訴審の名古屋高裁は、人事部長が最終的に出社不要を明示したこと、その発言に至る面談が退職勧奨に応じるか否かのやり取りであったこと、出社不要の日数や期間が示されなかったことなどから、同発言は確定的・一方的に雇用関係を終了させる意思表示であったと認定したうえで、当該解雇を無効と判断しました(上告棄却により確定)。
第一審と控訴審で発言の法的評価は異なりますが、いずれの構成でも使用者が賃金を負担する結論に変わりはありません。「明日から来なくていい」との発言は、解雇の意思表示と評価されれば解雇権濫用法理の審査を受け、解雇と評価されなければ労働契約が存続して就労を受領しなかった使用者が賃金債務を負うという、いずれに転んでも使用者に不利な結果を招く言動です。
(4)発言者の権限と状況
発言が解雇の意思表示と評価されるかは、発言者の地位・権限にも左右されます。解雇権限を有しない上司の発言であれば自宅待機の業務命令と解される余地がありますが、代表者や人事権限を有する者の発言は解雇の意思表示と評価されやすくなります。もっとも、業務命令と解された場合でも、就労を受領しなかった期間の賃金債務は免れません。
(5)違法な退職勧奨と退職の意思表示の瑕疵
退職勧奨は、労働者の自由な意思決定を妨げる態様で行われた場合、それ自体が違法な権利侵害となります。退職しない意思を明確にした労働者に対し、多数回・長期間にわたり執拗に退職を勧め、二者択一を迫るような心理的圧迫を加えた事案で、不法行為に基づく損害賠償責任が認められています(最高裁昭和55年7月10日判決・下関商業高校事件)。また、長時間にわたる執拗な退職要求や退職届の提出の強要など強迫に当たる事情があれば、退職の意思表示は取り消すことができます(民法96条1項)。発言が解雇と評価されれば解雇として無効、退職と評価されても意思表示の取消しや不法行為が問題となる、という二重のリスクを認識する必要があります。
4 解雇と誤認されない退職勧奨の設計
(1)発言の設計
「辞めてくれ」「辞めてほしい」という表現は、依頼の形式をとっていても、使用者からの一方的な要求として威圧的に受け取られ、解雇または退職強要と評価される端緒となります。面談では、現状の評価を事実に基づいて伝えたうえで、「改善に取り組む」「条件を整えて退職する」という複数の選択肢を提示し、選択は労働者に委ねることを明示します。あわせて、「これは解雇ではなく会社からの提案であり、断っても不利益はない」旨を明示的に告げることが、後日「解雇であった」「強要された」との主張に対する最も有効な反証となります。
(2)面談の運用
会社側の出席者は2名程度にとどめ、1回あたり30分程度、相当の間隔を空けた数回程度を上限とし、労働者が明確に拒否した場合にはその場で打ち切ります。多人数による面談、長時間の面談、短期間に繰り返される呼出しは、下関商業高校事件の判断枠組みのもとで違法と評価されるおそれがあります。
(3)記録
面談は労働者により録音されている前提で臨むべきです。使用者側も、録音する旨を告げて同意を得たうえで記録を残しておけば、発言の一部のみが切り取られて主張されるリスクを抑えられます。録音の有無を確認すること自体は問題ありませんが、威圧的な態様で確認することは避けるべきです。
(4)退職合意書と離職理由
合意に至った場合は、退職日、特別退職金(上乗せ金)の額と支払日、退職日までの就業免除・年次有給休暇の取扱い、業務の引継ぎ、離職票の離職理由、清算条項等を定めた退職合意書を作成します。離職理由については、事業主から退職するよう勧奨を受けたことによる離職は雇用保険上の特定受給資格者に該当し(雇用保険法23条2項2号、同法施行規則36条9号)、自己都合退職とは扱われない点を踏まえ、会社都合として処理する旨を合意書に明記しておくことが、合意形成の材料にもなります。雇用関係助成金の受給要件への影響は事前に確認が必要です。
(5)事前の相談
退職勧奨と解雇の境界は発言と状況によって決まるため、面談の前に、発言の可否を整理した想定問答、提示条件の水準、拒否された場合の次の対応(注意指導の記録化、配置転換、改善期間の設定等)を決めておくことが、解雇と誤認されるリスクを低減します。面談後に相談を受ける事案では、既に録音の中に解雇と評価されうる発言が残っていることが少なくありません。
5 弁護士への相談が有効な場面
退職勧奨の面談に先立つ想定問答と提示条件の設計、退職合意書の作成、離職理由と助成金への影響の確認は、紛争予防の観点から弁護士の関与が有効な場面です。また、発言後に「解雇である」として解雇理由証明書の交付や解雇予告手当の支払を求められた場合、あるいは労働局のあっせん通知や労働審判の申立てを受けた場合には、発言の法的評価と撤回・就労再開の申入れの要否を早期に判断する必要があります。
当事務所は、退職勧奨の面談設計から退職合意書の作成、「解雇である」との主張を受けた場合の初動対応、労働審判・交渉への対応までを、顧問契約に基づき継続的に支援しています。
企業が点検すべき事項
- ① 退職勧奨の面談で、「辞めてくれ」「辞めてほしい」「来なくていい」という表現を用いていないか
- ② 面談において、改善を継続する選択肢と退職する選択肢の双方を提示し、選択を労働者に委ねていることを明示しているか
- ③ 「解雇ではなく提案であり、断っても不利益はない」旨を明示的に告げているか
- ④ 賃金・労働条件に関する労働者の申出に対し、退職を示唆する発言で応じていないか
- ⑤ 会社側の出席者は2名程度、1回30分程度、相当の間隔を空けた数回程度にとどめ、拒否された場合に打ち切る運用となっているか
- ⑥ 面談を録音する旨を告げて同意を得たうえで、使用者側も記録を保存しているか
- ⑦ 退職勧奨に先立ち、注意指導の記録、改善機会の付与、配置転換の検討といった解雇回避努力の実績を残しているか
- ⑧ 合意に至った場合に、退職日・上乗せ金・就業免除・有給休暇・引継ぎ・離職理由・清算条項を定めた退職合意書を作成しているか
- ⑨ 退職勧奨に応じた退職を「自己都合」として処理していないか(雇用保険法施行規則36条9号)
- ⑩ 「解雇である」との主張や解雇理由証明書の請求を受けた場合の初動(発言の評価・撤回の要否・弁護士への相談)を決めているか
よくあるご質問
Q. 「辞めてくれ」と言ったところ従業員が「辞めます」と答えました。自己都合退職として処理できますか。
A. 従業員の発言のみをもって自己都合退職と扱うことには危険があります。残業代の請求権の放棄か退職かの二者択一を迫った代表者の発言を実質的な解雇の意思表示と評価し、解雇予告手当の支払を命じた裁判例があります(大阪地裁平成10年10月30日判決・丸一商店事件)。使用者が退職を選ばざるを得ない状況を作出した場合、従業員の「辞めます」は自由な意思に基づく退職の意思表示とは評価されず、解雇と扱われる可能性があります。
Q. 「明日から来なくていい」と告げた場合、法的にはどう扱われますか。
A. 解雇の意思表示と評価されれば、客観的に合理的な理由と社会通念上の相当性を欠く限り無効となり(労働契約法16条)、解雇後の賃金の支払義務が生じるほか、解雇予告・解雇予告手当(労働基準法20条)の手続も履践していないことになります。解雇の通告とも退職の合意とも認められない場合には、労働契約は存続しており、使用者の指示により就労しなかった期間の賃金を支払う義務が残ります。いずれの場合も使用者が賃金を負担する結果となるため、発言後は速やかに弁護士に相談し、撤回・就労再開の申入れを含む対応を検討すべきです。
Q. 退職勧奨の面談は何回まで、どの程度の時間まで許されますか。
A. 明確な回数・時間の基準はありませんが、退職しない意思を明確に表明した労働者に対し、多数回・長期間にわたり執拗に退職を求めた事案で不法行為の成立が認められています(最高裁昭和55年7月10日判決・下関商業高校事件)。実務上は、1回あたり30分程度、会社側の出席者は2名程度、相当の間隔を空けた数回程度にとどめ、労働者が明確に拒否した場合にはその場で打ち切ることが適切です。
Q. 退職勧奨に応じた従業員の離職票の離職理由は「自己都合」でよいですか。
A. 適切ではありません。事業主から退職するよう勧奨を受けたことによる離職は、雇用保険上の特定受給資格者に該当します(雇用保険法23条2項2号、同法施行規則36条9号)。厚生労働省も、退職勧奨に応じて退職した場合は自己都合による退職とはならないと説明しています。離職理由の記載は退職合意書に明記し、雇用関係助成金の受給要件への影響については事前に確認する必要があります。
まとめ
退職勧奨と解雇を分けるのは使用者の「つもり」ではなく、発言の内容とその場の状況です。解雇の意思表示に方式の定めはなく、「嫌なら辞めてくれ」「明日から来なくていい」といった発言は、労働者が「辞めます」と応じた場合でも実質的な解雇の意思表示と評価され、解雇回避努力を経ていない解雇として労働契約法16条の審査を受けることになります。解雇と評価されない場合でも、就労を受領しなかった期間の賃金債務は免れません。退職勧奨を解雇から切り分けるためには、選択肢の提示と「解雇ではない」旨の明示、面談の人数・時間・頻度の抑制、記録の保存、退職合意書による離職理由までの確定、そして面談前の相談が不可欠です。
参考資料
- 厚生労働省「令和6年度個別労働紛争解決制度の施行状況」(2025年6月25日)
- 厚生労働省「労働契約の終了に関するルール」
- 厚生労働省「知って役立つ労働法」第5章「仕事を辞めるとき、辞めさせられるとき」
- 厚生労働省「確かめよう労働条件」裁判例・退職勧奨(下関商業高校事件・最高裁昭和55年7月10日判決)
- 大阪府「解雇、雇止めと退職勧奨」(労働相談の手引き・令和8年3月更新)
- 全国労働基準関係団体連合会 労働基準判例検索「丸一商店事件」(大阪地裁平成10年10月30日判決・労働判例750号29頁)
- 名古屋高裁令和元年10月25日判決(労働判例1222号71頁)
- 労働政策研究・研修機構 労働政策研究報告書No.133「個別労働関係紛争処理事案の内容分析Ⅱ」第1章「非解雇型雇用終了事案」
- 労働政策研究・研修機構 リサーチアイ第78回「裁判所における解雇の金銭解決の実態 令和編」
- 労働契約法(e-Gov法令検索)/労働基準法(e-Gov法令検索)/雇用保険法(e-Gov法令検索)/雇用保険法施行規則(e-Gov法令検索)/民法(e-Gov法令検索)
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