職場のハラスメントは、もはや「悪意のある嫌がらせ」に限られません。残業削減の名目で業務量の調整を伴わないまま定時退社を強制する行為(いわゆる時短ハラスメント)、不機嫌な態度による職場の支配、「本人のため」を理由に業務を与えない行為など、行為者に害意のない「無自覚型」の言動も、法的にはハラスメントと評価され得ます。厚生労働省が公表した令和6年度「過労死等の労災補償状況」によれば、精神障害の労災支給決定件数は1,055件と初めて1,000件を超えて過去最多を更新し、出来事別では「上司等からのパワーハラスメント」が224件で最多でした。ハラスメントの放置は、労災・損害賠償・人材流出という形で確実に経営リスクに転化します。本コラムでは、経営者・管理職が無自覚に行いがちなハラスメントの類型と法的根拠を整理したうえで、2026年10月1日に施行される改正労働施策総合推進法によるカスタマーハラスメント対策等の義務化を見据えた実務対応を解説します。
ハラスメント対策の法的枠組み ― 措置義務と「悪意不要」の判断基準
パワーハラスメント対策は、労働施策総合推進法30条の2により事業主の雇用管理上の措置義務とされており、中小企業についても2022年4月から適用されています。同条のパワーハラスメントは、①優越的な関係を背景とした言動であって、②業務上必要かつ相当な範囲を超えたものにより、③労働者の就業環境が害されること、という3要素で判断されます。ここで重要なのは、行為者の悪意・害意が要件とされていないことです。「指導のつもりだった」「良かれと思った」という主観的意図は、業務上の必要性・相当性の評価を左右する一事情にはなり得ても、それ自体が抗弁となるものではありません。
ハラスメントが現実化した場合の民事責任も軽視できません。会社は、行為者の使用者としての責任(民法715条)や、労働契約に伴う安全配慮義務(労働契約法5条)の違反を問われ、経営者自身が行為者である場合には、経営者個人が不法行為責任(民法709条)を負います。メイコウアドヴァンス事件(名古屋地裁平成26年1月15日判決)では、社長による暴言・暴行や退職強要と従業員の自殺との間の因果関係が認められ、会社および社長個人に対し約5,400万円の損害賠償が命じられました。法人格による遮断が働かず、経営者個人の資産に責任が及ぶ点は、中小企業の経営者が特に認識しておくべきリスクです。
無自覚に行われがちなハラスメントの類型
実務上、経営者・管理職が無自覚に行いがちな言動として、次のような類型が挙げられます。いずれも「業務上必要かつ相当な範囲」を超えるか否かが判断の基軸となります。
労働時間・業務配分に関する類型として、業務量を調整しないまま定時退社のみを強制する行為(時短ハラスメント)は、持ち帰り残業やサービス残業を誘発し、労働時間の適正把握義務や割増賃金支払義務との関係でかえって違法状態を作出します。また、配慮の名目で業務や成長機会を与えない行為は、パワーハラスメントの行為類型のうち「過小な要求」に該当し得ます。
制度利用に関する類型として、男性従業員の育児休業取得に対する嫌味や不利益な取扱い(パタニティハラスメント)は、育児介護休業法が明文で禁止する不利益取扱い(同法10条)および防止措置義務(同法25条)に直接抵触します。育休取得を理由とする評価の引下げは、それ自体が違法と評価されるリスクの高い行為です。
言動・態度に関する類型として、不機嫌な態度・ため息・舌打ちによる威圧は、直接的な叱責を伴わなくとも「精神的な攻撃」として評価される余地があります。「女性なのに優秀」「若いのにしっかりしている」といった属性を織り込んだ賞賛は、属性に対する偏見の裏返しであり、セクシュアルハラスメント等の入り口となります。他の従業員との比較による叱咤、名目上自由参加としながら不参加者への処遇を変える懇親会、リモートワーク下での常時カメラ接続・即時応答の要求・オンライン上の公開叱責、家庭・婚姻等の私生活への過度な介入、退職申出に対する罪悪感を利用した執拗な慰留も、態様によっては就業環境を害する言動、プライバシー侵害、退職の自由の侵害と評価され得ます。
判断に迷う場合の基準は一つです。その言動が録音され、法廷で再生されたときに、業務上の必要性と相当性を堂々と説明できるか。説明できない言動は、行為者の意図にかかわらず、ハラスメントと評価されるリスクを抱えています。感情や精神論ではなく、業務上の必要性に基づいて人を動かすマネジメントへの転換が求められています。
2026年10月施行 ― カスタマーハラスメント対策・就活等セクハラ対策の全企業義務化
2025年6月に成立した改正労働施策総合推進法により、カスタマーハラスメント対策および求職者(就職活動中の学生等)に対するセクシュアルハラスメント対策が、企業規模を問わずすべての事業主の雇用管理上の措置義務となります。施行日は2026年10月1日であり、厚生労働省は事業主が講ずべき措置に関する指針を2026年2月に告示済みです。求められる措置は、対応方針の明確化と労働者への周知・啓発、相談体制の整備、被害を受けた労働者への配慮のための取組、再発防止のための取組等です。違反に対する直接の罰則は設けられていませんが、助言・指導・勧告の対象となり、勧告に従わない場合には企業名公表の対象となり得ます。
先行する動きとして、東京都は2025年4月に全国初のカスタマーハラスメント防止条例を施行しています。また、就職活動中の学生等に対するセクシュアルハラスメントについては、厚生労働省の令和5年度の実態調査において、就職活動・インターンシップ中にセクシュアルハラスメントを受けた学生が約3割にのぼることが報告されており、採用活動における面談ルールの整備(面談場所・時間帯・連絡手段の限定等)は、施行を待たず直ちに着手すべき課題といえます。
企業が講ずべき実務対応 ― 施行までの5ステップ
2026年10月1日の施行を見据え、当面の実務対応は次の順序で進めることが合理的です。第一に、経営層・管理職が無自覚型ハラスメントの類型を「知る」こと。防止研修の出発点はここにあります。第二に、ハラスメントを許容しないというトップの方針の明確化と周知。第三に、相談窓口の整備。社内での設置が困難な場合は、外部窓口(顧問弁護士等)の活用が現実的です。第四に、管理職研修の定期実施(少なくとも年1回)。第五に、就業規則・ハラスメント防止規程の見直しとカスタマーハラスメント対応マニュアルの整備です。特にカスタマーハラスメント対応は、顧客対応の現場での初動基準(対応の打切り基準・エスカレーションルート・警察等への通報基準)をあらかじめ定めておかなければ機能しません。指針の内容を踏まえた規程・マニュアルの整備は、施行までに完了させる必要があります。
ハラスメント対策は、紛争予防にとどまらず、人材の定着と採用競争力に直結する経営投資です。「悪意がなければ問題ない」という認識のまま放置することが、最も高くつく選択であることを強調しておきます。
よくあるご質問
Q. 悪意のない言動でもハラスメントとして違法になりますか。
A. なり得ます。パワーハラスメントの判断枠組みは、優越的な関係を背景とした言動であって、業務上必要かつ相当な範囲を超えたものにより就業環境が害されたか否かであり、行為者の悪意・害意は要件ではありません(労働施策総合推進法30条の2)。「指導のつもりだった」「本人のためを思った」という主観的意図は抗弁になりません。
Q. ハラスメントを放置した場合、経営者個人も責任を負いますか。
A. 負う可能性があります。会社の使用者責任(民法715条)・安全配慮義務違反(労働契約法5条)に加え、経営者自身が行為者である場合は個人として不法行為責任(民法709条)を負います。メイコウアドヴァンス事件(名古屋地裁平成26年1月15日判決)では、会社と社長個人に約5,400万円の損害賠償が命じられています。
Q. 2026年10月施行のカスタマーハラスメント対策義務化では、何をする必要がありますか。
A. 対応方針の明確化と周知・啓発、相談体制の整備、被害を受けた労働者への配慮、再発防止措置等が、すべての事業主の雇用管理上の措置義務となります。厚生労働省の指針(2026年2月告示)を踏まえた社内規程・対応マニュアルの整備を施行までに完了させるべきです。違反への直接の罰則はありませんが、勧告に従わない場合は企業名公表の対象となり得ます。
まとめ
ハラスメントの成否は行為者の悪意の有無ではなく、業務上の必要性・相当性によって判断されます。時短ハラスメント・過小な要求・育休取得への不利益取扱い・属性込みの賞賛・私生活への過度な介入といった「無自覚型」の言動は、措置義務違反・損害賠償責任(経営者個人の責任を含む)・労災という形で経営リスクに直結し、精神障害の労災認定が過去最多を更新する現状は、このリスクが増大し続けていることを示しています。2026年10月1日にはカスタマーハラスメント対策・就活等セクハラ対策がすべての企業の義務となり、対応の巧拙が問われる局面は職場の内外に広がります。当事務所では、ハラスメント防止規程・カスタマーハラスメント対応マニュアルの整備、管理職研修、外部相談窓口、ハラスメント調査・対応まで、労務リスクの予防と対応を一貫して支援しています。施行前のこの時期のご相談をお勧めします。
参考資料
- 労働施策総合推進法(e-Gov法令検索)
- 育児休業、介護休業等育児又は家族介護を行う労働者の福祉に関する法律(e-Gov法令検索)
- 民法(e-Gov法令検索)
- 労働契約法(e-Gov法令検索)
- 労働政策研究・研修機構「『精神障害』の労災支給決定件数が6年連続の増加」
- 厚生労働省「あかるい職場応援団」
- BUSINESS LAWYERS「2026年10月カスハラ対策が義務化!企業が講ずべき措置を解説」
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本コラムは一般的な情報提供を目的とするものであり、個別の事案に対する法的助言ではありません。統計・施行日等は2026年8月時点の情報に基づきます。実際のご対応にあたっては、最新の法令・指針をご確認のうえ、専門家にご相談ください。
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