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創業期の企業が直面する法的リスクの類型と予防法務 ― 労働条件明示・就業規則・割増賃金と消滅時効、会社と経営者の財産分離・定期同額給与・預り金の滞納、共同経営の議決権設計・名板貸責任・保証意思の確認

法人を設立した時点から、事業者には多数の法規制が適用されます。創業期に発生する法的紛争の相当部分は、悪質な行為に起因するものではなく、適用される規制の存在自体が認識されていなかったこと、または合意内容が書面化されていなかったことに起因します。そして、これらの事項は、いずれも事前の整備によって回避可能である一方、紛争が顕在化した後の是正には、当初の整備に要する費用とは比較にならない負担を伴います。本稿では、創業期の企業が直面する法的リスクを、①労務、②財務・取引、③対外関係(共同経営者・第三者)の3類型に整理し、各類型において優先的に整備すべき事項を検討します。

1. 統計から見た創業期のリスク環境

厚生労働省が公表した「令和7年度個別労働紛争解決制度の施行状況」によれば、総合労働相談件数は119万8,010件であり、18年連続で100万件を超えています。民事上の個別労働関係紛争に係る相談の内訳では「いじめ・嫌がらせ」が55,614件(前年度比1.1%増)で14年連続の最多となり、助言・指導の申出では「労働条件の引下げ」が1,220件(同10.6%増)、あっせんの申請では「解雇」が892件(同12.6%増)で、それぞれ最多となりました。労務に関する紛争は、企業規模を問わず一定の頻度で発生する経営リスクとして位置づけられます。

財務面については、東京商工リサーチの集計によれば、2025年度(2025年4月〜2026年3月)の全国企業倒産は1万505件(前年度比3.5%増)、負債総額は1兆5,687億1,500万円(同33.9%減)でした。負債規模別では1億円未満が8,062件・構成比76.7%となり、30年間で最も高い水準となっています。原因別では人手不足関連が442件(同43.0%増)と大幅に増加しました。倒産の中心が小規模企業であり、その要因として人員確保の困難が顕在化していることは、労務管理と資金管理が創業期において不可分の課題であることを示しています。

2. 労務に関する法的リスク

(1) 労働条件の明示義務

使用者は、労働契約の締結に際し、労働者に対して賃金、労働時間その他の労働条件を明示しなければなりません(労働基準法15条1項、同法施行規則5条)。明示事項は令和6年(2024年)4月1日から追加されており、すべての労働者に対する「就業場所・業務の変更の範囲」、有期契約労働者に対する「更新上限の有無および内容」、無期転換申込権が発生する契約更新のタイミングにおける「無期転換申込機会」および「無期転換後の労働条件」の明示が求められます。

創業期においては、労働条件が口頭で合意され、書面が交付されないまま就労が開始される例が少なくありません。しかし、退職時に紛争が生じた場合、成果報酬の有無、勤務地の限定、職務内容の範囲といった点について、書面が存在しなければ使用者側が合意内容を立証することは困難です。労働条件通知書または労働条件を記載した労働契約書の交付は、法令上の義務であると同時に、最も費用対効果の高い紛争予防措置です。

(2) 就業規則の作成義務と懲戒権の根拠

常時10人以上の労働者を使用する使用者は、就業規則を作成し、所轄労働基準監督署長に届け出なければなりません(労働基準法89条)。10人未満の事業場に作成義務はありませんが、懲戒処分を行うためには、就業規則に懲戒の種別および事由が定められ、これが労働者に周知されていることが前提となります。就業規則を欠く企業は、事実上、懲戒権を行使できない状態にあります。加えて、就業規則を新たに制定しても、制定前の行為に遡って適用することはできません。問題事象が顕在化してからの整備では間に合わないという点で、義務発生前の段階での作成が合理的です。

(3) 割増賃金と消滅時効

時間外労働に対しては2割5分以上、深夜労働に対しては2割5分以上、休日労働に対しては3割5分以上の割増賃金の支払を要し、1か月60時間を超える時間外労働に対しては5割以上の割増賃金を要します(労働基準法37条)。1か月60時間を超える時間外労働に係る割増賃金率の引上げについて中小企業に認められていた猶予措置は、令和5年(2023年)4月1日をもって終了しており、現在は企業規模を問わず適用されます。

未払割増賃金のリスクは、時効期間との関係で累積的に拡大します。賃金請求権の消滅時効期間は労働基準法115条により5年とされているところ、同法附則143条3項により当分の間3年とされており、退職した労働者の未払賃金については、賃金の支払の確保等に関する法律6条1項および同法施行令1条により年14.6%の遅延利息が付されます。労働時間の把握が客観的な記録によって行われていない場合、労働者側が提出する記録に基づく認定がなされることも少なくありません。労働時間の記録方法、固定残業代を採用する場合の明確区分性および対価性の確保は、創業初期の段階で設計すべき事項です。

(4) 解雇規制および社会保険の適用

解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合には、権利を濫用したものとして無効となります(労働契約法16条)。また、解雇に際しては30日前の予告または30日分以上の平均賃金の支払を要します(労働基準法20条)。能力不足を理由とする普通解雇については、指導・教育および配置転換等の措置を尽くしたことの立証が求められるのが一般であり、記録の欠如は使用者側に不利に作用します。他方、期間の定めのない雇用における労働者からの解約申入れは、申入れの日から2週間の経過により終了します(民法627条1項)。労働契約の解消に関するこの非対称性は、採用段階での評価および試用期間の設計を重要にします。

社会保険については、法人は従業員の有無にかかわらず健康保険および厚生年金保険の強制適用事業所とされ(健康保険法3条3項、厚生年金保険法6条1項)、労働者を使用する事業には労働者災害補償保険法が適用されます(同法3条1項)。未加入の状態が継続した場合、遡及しての保険料徴収の対象となり得ます。

3. 財務および取引に関する法的リスク

(1) 会社財産と経営者個人の財産の分離

創業期の企業においては、経営者個人の資金と会社資金が実質的に混同されている例が多く見られます。会社資金による経営者個人の支出は、会計上「役員貸付金」として計上されることになりますが、金融機関の審査においては回収可能性の低い資産として評価され、実質的な自己資本の毀損として扱われるのが通例です。

財産の分離は、経営者保証との関係でも重要です。「経営者保証に関するガイドライン」(平成25年12月公表、平成26年2月適用開始)は、法人と経営者の資産・経理の明確な分離、法人のみの資産・収益力による返済可能性、適時適切な財務情報の開示を、経営者保証を求めない融資等の前提として位置づけています。さらに、金融庁・中小企業庁等による「経営者保証改革プログラム」(令和4年12月公表)を受け、令和5年4月以降、金融機関が経営者保証を求める場合には、保証が必要な理由および保証契約の変更・解除の可能性について、個別・具体的に説明することが求められています。会社と経営者の財産分離は、経営者個人の責任財産を保全するための前提条件です。

(2) 役員報酬の設定

役員給与のうち損金の額に算入されるものは、定期同額給与、事前確定届出給与および業績連動給与に限られます(法人税法34条1項)。定期同額給与とは、支給時期が1か月以下の一定の期間ごとであり、当該事業年度の各支給時期における支給額が同額である給与等をいい、その改定は原則として事業年度開始の日から3か月を経過する日までに行う必要があります(同項1号、法人税法施行令69条1項1号)。業績に応じて期中に役員報酬を増減させる運用は、増額部分が損金不算入となり、法人税と所得税の双方において不利益を生じさせます。

(3) 預り金の滞納

源泉所得税、社会保険料の被保険者負担分および消費税は、いずれも企業の利益ではなく、第三者から預かり、または徴収して納付すべき性質の金銭です。これらの滞納は延滞税・延滞金の対象となるほか、督促後の滞納処分により、売掛金債権および預貯金債権の差押えを受けることがあります。取引先に対する債権が差し押さえられた場合、当該事実が取引先に了知されることにより、事業上の信用は著しく毀損されます。資金繰りの逼迫時において、預り金への充当は、再建可能性を最も早期に喪失させる選択肢です。

(4) 取引条件と支払期日規制

発注者の立場に立つ場合、下請代金支払遅延等防止法は、令和8年(2026年)1月1日施行の改正により「製造委託等に係る中小受託事業者に対する代金の支払の遅延等の防止に関する法律」(中小受託取引適正化法、通称「取適法」)に改称・改正されています。支払期日は、給付を受領した日から起算して60日以内のできる限り短い期間内に定めなければならず、手形による支払は一律に禁止されました。また、発注書面については、中小受託事業者の承諾の有無にかかわらず電磁的方法によることが可能とされています。

特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律(フリーランス法、令和6年11月1日施行)についても、給付を受領した日から起算して60日以内の支払期日の設定が義務づけられており、業務委託の形態で外部人材を活用する創業期の企業においては、適用対象該当性の検討が必要です。従来の商慣行に従った支払サイトの設定が、そのまま法令違反を構成し得る点に留意を要します。

4. 対外関係に関する法的リスク

(1) 共同経営における議決権設計

株主総会の普通決議は議決権の過半数、定款変更・募集株式の発行等の特別決議は出席株主の議決権の3分の2以上を要します(会社法309条1項・2項)。共同創業者間で出資比率を50対50とした場合、意見が一致しない限り普通決議も成立せず、役員の選任・解任を含む意思決定が停止します。設立時における議決権比率の設計に加え、株主間契約において、デッドロックの解消方法、株式の譲渡制限と先買権、離脱時の株式買取価格の算定方法および手続、競業避止義務を定めておくことが、事後の紛争の長期化を防ぐ上で有効です。

(2) 出資勧誘および投資取引

高利回りや元本の保証を伴う出資の勧誘については、金融商品取引法上の登録(同法29条)を欠く業として行われている可能性、および出資の受入れ、預り金及び金利等の取締りに関する法律の規制に抵触する可能性を検討する必要があります。紹介者との人的関係は、当該取引の適法性を基礎づけるものではありません。企業の余資運用として行う場合であっても、取締役の善管注意義務(会社法330条、民法644条)の観点から、事前の調査および取締役会等における意思決定過程の記録化が求められます。

(3) 名板貸責任

自己の商号を使用して事業または営業を行うことを他人に許諾した会社は、当該会社が事業を行うものと誤認して当該他人と取引をした者に対し、当該取引によって生じた債務を連帯して弁済する責任を負います(会社法9条。商人については商法14条)。名義の使用を許諾する行為は、対価の多寡にかかわらず、他人の債務について責任を引き受けることと同視し得るリスクを伴います。

(4) 保証に関する規律

一定の範囲に属する不特定の債務を主たる債務とする保証契約であって保証人が個人であるもの(個人根保証契約)は、極度額を定めなければ効力を生じません(民法465条の2)。また、事業のために負担した貸金等債務を主たる債務とする保証契約または主たる債務の範囲に事業のために負担する貸金等債務が含まれる根保証契約は、契約締結の日前1か月以内に作成された公正証書で保証人になろうとする者が保証債務を履行する意思を表示していなければ効力を生じません(民法465条の6)。ただし、主たる債務者が法人である場合のその理事・取締役等、および主たる債務者の総株主の議決権の過半数を有する者等については、この限りではありません(同法465条の9)。取引先や知人の企業の債務を保証する場合、これらの規律の適用関係を確認したうえで判断することが必要です。

あわせて、新規の取引先との契約においては、登記情報による設立時期・役員構成・本店移転履歴の確認、暴力団排除条項および期限の利益喪失条項の設定を、標準的な手続として組み込むことが望まれます。

5. 予防法務の実務的な優先順位

創業期に整備すべき事項は多岐にわたりますが、費用対効果の観点からは、次の順序で着手することが合理的です。第一に、労働条件通知書および雇用契約書の書式整備と交付運用の確立。第二に、労働時間の客観的な記録方法の確立と、固定残業代を採用する場合の明確区分性の確保。第三に、会社と経営者個人の資金の分離、および役員報酬の適法な設定。第四に、取引基本契約書ならびに発注書面・支払条件の整備。第五に、共同経営者が存在する場合の株主間契約の締結です。いずれも、事業が拡大した後には、既存の権利関係を前提とせざるを得ないため、変更の難易度が上昇します。

点検事項

  • ① 全従業員について、2024年4月以降の明示事項(就業場所・業務の変更の範囲等)を反映した労働条件通知書または雇用契約書が交付されているか
  • ② 常時使用する労働者が10人以上となる見込みを踏まえ、就業規則(懲戒の種別・事由を含む)が作成され、周知されているか
  • ③ 労働時間が客観的な方法により記録され、月60時間超の割増率5割以上を含む割増賃金が適正に算定されているか。固定残業代を採用する場合、明確区分性と対価性が確保されているか
  • ④ 法人としての健康保険・厚生年金保険の適用および労働保険の成立手続が完了しているか
  • ⑤ 会社資金と経営者個人の資金が分離され、役員貸付金が計上されていないか。役員報酬が定期同額給与の要件を満たしているか
  • ⑥ 源泉所得税・社会保険料・消費税について滞納が生じていないか。資金繰り計画において納付原資が区分して管理されているか
  • ⑦ 発注側となる取引について、取適法・フリーランス法の適用関係を確認し、支払期日(受領日から60日以内)および発注書面の交付方法が適合しているか
  • ⑧ 共同経営者が存在する場合、議決権比率およびデッドロック解消条項・株式買取条項を含む株主間契約が締結されているか。第三者の債務に対する保証・名義使用の許諾について、社内の意思決定手続が定められているか

よくあるご質問

Q. 従業員が数名の会社でも、就業規則を作成する必要がありますか。

A. 労働基準法89条により就業規則の作成および所轄労働基準監督署長への届出が義務づけられるのは、常時10人以上の労働者を使用する事業場です。したがって10人未満の事業場に作成義務はありません。もっとも、懲戒処分は就業規則に懲戒の種別および事由が定められ、これが労働者に周知されていることを前提とするため、就業規則が存在しない場合には懲戒処分を行うことが困難です。また、就業規則を新たに制定しても、制定前の行為に対して遡って適用することはできません。実務上は、義務が生じる前の段階で整備しておくことが合理的です。

Q. 未払割増賃金は、何年分まで遡って請求されますか。

A. 賃金請求権の消滅時効期間は労働基準法115条により5年とされていますが、同法附則143条3項により、当分の間は3年とされています。したがって現在は3年分が請求の対象となります。加えて、退職した労働者の未払賃金については、賃金の支払の確保等に関する法律6条1項および同法施行令1条により、退職日の翌日から支払をする日までの期間について年14.6%の遅延利息が付されます。時間外労働の割増率は労働基準法37条により2割5分以上、1か月60時間を超える部分については5割以上であり、中小企業に対する猶予措置は2023年4月1日をもって終了しています。

Q. 共同経営で出資比率を50対50とすることには、どのような法的問題がありますか。

A. 株主総会の普通決議は議決権の過半数、定款変更・募集株式の発行等の特別決議は出席株主の議決権の3分の2以上を要します(会社法309条1項・2項)。出資比率が50対50である場合、両者の意見が一致しない限り普通決議も成立せず、役員の選任・解任を含む会社の意思決定が停止します。取締役の任期満了後に後任を選任できない事態も生じ得ます。設立時に議決権比率を明確に設計するとともに、株主間契約においてデッドロック解消条項、株式譲渡制限と先買権、離脱時の株式買取価格の算定方法および手続を定めておくことが実務上の対応となります。

参考資料

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本コラムは一般的な情報提供を目的とするものであり、個別の事案に対する法的助言ではありません。実際のご対応にあたっては、最新の法令をご確認のうえ、専門家にご相談ください。

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