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経営者が取引先・従業員との紛争を招く行動類型と予防法務 ― 取適法の発注書面交付義務・支払期日・一方的な代金決定の禁止、優越的地位の濫用、労働条件明示義務と不利益変更の制限、パワハラ防止措置義務とカスタマーハラスメント対策の義務化(2026年10月1日)、記録化と相談窓口の整備

企業間・労使間の紛争のうち、当事者の一方に当初から加害の意図があった事案は多くありません。実務上、通知書の送付や訴訟提起に至る紛争の相当部分は、経営者が日常的に行っている行動 ― 口頭での発注、支払時期の後ろ倒し、説明を伴わない方針変更、感情的な叱責、口頭での処遇の約束 ― に相手方が不信を蓄積し、それが一定の契機で表面化したものです。厚生労働省の集計によれば、2025年度(令和7年度)に都道府県労働局等へ寄せられた総合労働相談は119万8,010件で18年連続の100万件超えとなり、民事上の個別労働紛争の相談内容では「いじめ・嫌がらせ」が55,614件で14年連続の最多でした。本コラムでは、①紛争の発生構造、②取引先との紛争を招く行動類型と取適法・独占禁止法上の位置づけ、③従業員との紛争を招く行動類型と労働法上の位置づけ、④両者に共通する要因、⑤信頼関係を構築する経営者の行動、⑥予防法務としての体制整備 ― の順に整理します。

1. 紛争の発生構造 ― 「無意識」の行動と合意の軽視

取引関係も雇用関係も、法的には当事者間の合意(契約)によって成立し、維持されています。契約は申込みと承諾の合致により成立し、法令に特別の定めがある場合を除き書面の作成を要しません(民法522条)。他方、民法は権利の行使および義務の履行を信義に従い誠実に行うべきことを定め(民法1条2項)、労働契約法も労働者および使用者が信義に従い誠実に権利を行使し義務を履行しなければならないと規定しています(労働契約法3条4項)。

紛争を招く経営者に共通するのは、この「合意」の取扱いが軽いことです。合意の内容を書面化しない、合意した内容を相手方の承諾なく変更する、変更の理由を説明しない、といった行動は、それ自体が直ちに違法とは限りませんが、相手方の側では「約束が守られない」「説明がない」という不信として蓄積します。取引先は取引量の縮小や取引の終了という形で、従業員は退職や労働局・弁護士への相談という形で対応するため、経営者が問題を認識する時点では、すでに関係修復が困難な段階に至っていることが少なくありません。

2. 取引先との紛争を招く行動類型と取適法・独占禁止法

  • ① 口頭発注・契約書の不作成 ― 納期・仕様・代金・検収条件を書面化せず、認識の相違が「言った・言わない」の紛争に発展する類型です。中小受託取引適正化法(取適法。下請法を改正し2026年1月1日施行)の適用がある取引では、委託事業者は発注に際し取引条件を記載した書面又は電磁的記録を直ちに交付する義務を負います
  • ② 支払遅延・事後的な減額・一方的な条件変更 ― 取適法は、代金の支払期日を給付の受領日から60日以内と定め、支払遅延、代金の減額、買いたたき、不当な給付内容の変更・やり直し等を禁止しています。2026年1月施行の改正により、中小受託事業者から価格協議の求めがあったにもかかわらず協議に応じず、または必要な説明を行わずに一方的に代金を決定する行為が禁止行為として新設され、手形による支払も認められなくなりました。適用対象も、従来の資本金基準に加えて従業員数基準(製造委託等は300人、役務提供委託等は100人)が追加され、拡大しています
  • ③ 取引上の地位を背景とした高圧的な要求 ― 取適法の適用がない取引であっても、取引上の地位が相手方に優越していることを利用して正常な商慣習に照らして不当に不利益を与える行為は、独占禁止法の「優越的地位の濫用」(同法2条9項5号・19条)として規制されます。さらに、2025年6月公布の改正労働施策総合推進法により、2026年10月1日からすべての事業主に対し、顧客等からの著しい迷惑行為(カスタマーハラスメント)から自社の労働者を保護する雇用管理上の措置が義務づけられます。発注側の経営者による取引先担当者への威圧的言動は、相手方企業にとって法的対応を要する事象となり、取引関係の見直しに直結します
  • ④ 担当者を飛び越えた抗議・第三者への非難 ― 契約上の窓口を無視した上位者への直接抗議や、業界内での相手方に対する非難は、取引関係の信頼を毀損するのみならず、内容によっては名誉毀損・信用毀損の問題を生じます

3. 従業員との紛争を招く行動類型と労働法

  • ① 理由の説明を伴わない指示と頻繁な方針変更 ― 業務命令自体は使用者の権限ですが、目的の説明を欠く指示の反復は、従業員の側で「従う理由がない」という認識を生み、指示違反や退職の要因となります
  • ② 基準が不明確な評価・人事 ― 評価基準の不存在や特定の従業員への恣意的な処遇は、貢献度の高い従業員から順に不信を招きます。評価の不公平自体は直ちに違法ではありませんが、賃金・昇格に関する紛争の背景事情として、労働審判や訴訟における使用者側の信用性判断に影響します
  • ③ 人前での感情的な叱責 ― 労働施策総合推進法30条の2は、職場における優越的な関係を背景とした言動であって業務上必要かつ相当な範囲を超えたものにより労働者の就業環境が害されることのないよう、事業主に相談体制の整備その他の雇用管理上必要な措置を義務づけており、中小企業についても2022年4月1日から義務化されています。経営者自身の言動が相当な範囲を超える場合、会社は措置義務違反と使用者責任(民法715条)の双方を問われ得ます
  • ④ 口頭での処遇の約束と不履行・一方的変更 ― 使用者は労働契約の締結に際し賃金・労働時間等の労働条件を書面等で明示する義務を負い(労働基準法15条)、労働条件の変更は労働者との合意によるのが原則で、就業規則の変更により労働条件を労働者の不利益に変更することは原則として認められません(労働契約法8条・9条)。口頭の約束の不履行や一方的な変更は、未払賃金請求や労働審判の争点となります
  • ⑤ 改善提案の軽視 ― 会社の改善を目的とする従業員の指摘を軽視した場合、当該従業員が組織への貢献意欲を法的手段への準備に転じる構造は、有能社員のモンスター化と企業の法的リスクで整理したとおりです。合同労組(ユニオン)からの団体交渉申入れを正当な理由なく拒否することは不当労働行為に該当し(労働組合法7条2号)、個人の不満が集団的紛争に転化する経路となります

4. 両者に共通する要因

取引先と従業員とで相手方は異なりますが、紛争を招く行動の背後には共通する要因があります。第一に、決定に理由の説明を付さないことです。相手方は納得しないまま従うにとどまり、不満が顕在化しないまま蓄積します。第二に、合意した内容を状況に応じて一方的に変更し、変更に際して相手方の承諾を得ないことです。第三に、決定・変更の経緯を記録に残さないことです。記録の不存在は相手方だけでなく自社の立証も困難にし、紛争時には「説明を尽くした」という主張の根拠を失わせます。第四に、短期的な自社の利益を優先し、相手方の利益に配慮しないことです。減額により得た短期的利益と、継続的取引の喪失や未払賃金の遡及請求(賃金請求権の消滅時効は当分の間3年。労働基準法115条・143条)とを比較すれば、後者の損失が大きいことは明らかです。

これらはいずれも、経営者の性格や資質の問題ではなく、説明・合意・記録という手続の欠如であり、体制と運用により是正可能なものです。

5. 信頼関係を構築する経営者の行動

  • ① 決定に先立つ理由の説明 ― 説明は相手方の説得を目的とするものではなく、相手方が納得したうえで行動するための前提です。取引条件の変更や人事上の決定に際し、理由と根拠を言語化して伝えることが、後の紛争における「説明を尽くした」事実の基礎にもなります
  • ② 合意の書面化と履行 ― 契約書・発注書面・労働条件通知書・評価基準を文書化することは、相手方を拘束するためではなく、自社が履行すべき内容を明確にするためのものです。履行が困難となった場合には、一方的に変更するのではなく、事前に協議し合意を更新します
  • ③ 相手方の利益への配慮 ― 取引先に対しては適正な対価と支払期日の遵守、従業員に対しては貢献に見合う評価と法令に適合した賃金・労働時間管理を提供することが、継続的な協力関係の基盤です
  • ④ 評価の形式化 ― 感謝や信頼は、取引先には支払の正確性と継続的な発注、従業員には評価と就業環境という形で示されなければ継続しません
  • ⑤ 異議を述べる第三者の確保 ― 経営者の判断に異論を述べる者が社内に存在しない場合、無意識の行動を是正する機会がありません。社外取締役や顧問弁護士など、利害関係の外から意見を述べる存在が、経営者の判断の偏りを是正します(社外取締役の役割・責任・選任義務と中小企業における活用参照)

6. 予防法務としての体制整備

  • ① 契約書・発注書面の整備 ― 取引基本契約書と個別の発注書面を整備し、取適法の適用の有無にかかわらず、取引条件の書面化と受領から60日以内の支払を自社の標準とします。価格改定は相手方からの協議申入れに応じ、協議の経緯を記録します
  • ② 労働条件通知書・就業規則・評価基準の文書化と周知 ― 労働条件の明示(労働基準法15条)と就業規則の周知(同法106条)を確実に行い、評価基準を文書化して「聞いていない」「知らない」という状態を解消します
  • ③ 決定・変更の記録化 ― 会議の議事録、電子メールによる確認、面談記録を作成・保存し、決定の経緯と説明の事実を残します。記録は相手方に対する疑念の表明ではなく、双方の認識を一致させる手段です
  • ④ ハラスメント方針と相談窓口の整備 ― パワーハラスメント防止措置義務に基づく方針の明確化・周知と相談体制の整備を行い、2026年10月1日施行のカスタマーハラスメント対策義務にも対応します。不満を安全に表明できる窓口の存在は、不満が敵対的行動に転化する前に対処する機会を確保します
  • ⑤ 平時の法務相談 ― 通知書の受領後に対応を検討する場合、選択可能な手段は限定されます。契約書のひな形、就業規則、取引先・従業員とのやり取りを平時に点検することにより、紛争の原因となる行動を表面化前に是正できます

紛争を招かない経営者とは、相手方に迎合する経営者ではなく、自らの決定に理由を付し、合意を文書化し、その履行に責任を負う経営者です。契約書・就業規則・記録化の運用はそのための手段にすぎませんが、自己流の整備は細部で機能しないことが多く、取適法やカスタマーハラスメント対策義務のように規制自体も変化を続けています。顧問弁護士による継続的な点検は、この観点から合理的な選択といえます。

点検事項

  • ① 取引先との間に取引基本契約書が締結され、個別の発注が書面又は電磁的記録で行われているか。口頭のみで継続している取引はないか
  • ② 代金の支払期日が受領から60日以内に設定され、遵守されているか。手形による支払は解消されているか
  • ③ 価格改定や仕様変更に際し、相手方との協議とその記録が残されているか。事後的な減額や一方的な条件変更の実例はないか
  • ④ 労働条件通知書が全従業員に交付され、就業規則が周知されているか。昇給・役職等の処遇を口頭のみで約束した例はないか
  • ⑤ 評価基準が文書化され、評価の根拠を説明できる状態にあるか
  • ⑥ ハラスメント防止方針の周知と相談窓口の設置が行われ、2026年10月1日施行のカスタマーハラスメント対策義務への対応が進んでいるか
  • ⑦ 重要な決定・変更について、議事録・電子メール・面談記録等により経緯と説明の事実を確認できるか

よくあるご質問

Q. 口頭で発注した取引でも契約は成立しますか。書面を作らないとどのような問題が生じますか。

A. 契約は申込みと承諾の合致により成立し、原則として書面の作成は要件ではありません(民法522条)。しかし、納期・仕様・代金等を証明できなければ権利の行使も義務の範囲の確定もできず、認識の相違がそのまま紛争になります。また、取適法の適用がある取引では、委託事業者は発注時に取引条件を記載した書面又は電磁的記録を交付する義務を負い、違反は勧告・公表の対象となります。

Q. 経営者による叱責はどこからパワーハラスメントになりますか。

A. 労働施策総合推進法30条の2は、優越的な関係を背景とした言動であって業務上必要かつ相当な範囲を超えたものにより就業環境が害されることのないよう、事業主に雇用管理上必要な措置を義務づけています(中小企業は2022年4月1日から)。業務上の指導であっても、人格を否定する発言、人前での長時間・反復的な叱責、業務と無関係な要求などは相当な範囲を超えると評価されやすく、経営者自身の言動は会社の措置義務違反と使用者責任の根拠になり得ます。

Q. 紛争の予防のために、最初に整備すべきものは何ですか。

A. 取引先との関係では、取引基本契約書と個別の発注書面、支払期日(取適法では受領から60日以内)の遵守、価格変更時の協議記録です。従業員との関係では、労働条件通知書、就業規則の周知、評価基準の文書化、ハラスメント方針と相談窓口の設置です。共通して、決定・変更の経緯を記録として残す運用と、通知書が届く前に顧問弁護士に相談できる体制の整備が、紛争の発生自体を抑止します。

参考:厚生労働省「令和7年度個別労働紛争解決制度の施行状況」(2026年7月7日公表)公正取引委員会「中小受託取引適正化法(取適法)関係」政府広報オンライン「2026年1月から下請法が『取適法』に」e-Gov法令検索「中小受託取引適正化法」e-Gov法令検索「独占禁止法」(2条9項5号・19条)厚生労働省「職場におけるハラスメントの防止のために」(カスタマーハラスメント対策の義務化・2026年10月1日施行)e-Gov法令検索「労働施策総合推進法」(30条の2)e-Gov法令検索「労働基準法」(15条・106条・115条・143条)e-Gov法令検索「労働契約法」(3条4項・8条・9条)e-Gov法令検索「労働組合法」(7条)e-Gov法令検索「民法」(1条2項・522条・715条)

本コラムは一般的な情報提供を目的とするものであり、個別の事案に対する法的助言ではありません。実際のご対応にあたっては、最新の法令をご確認のうえ、専門家にご相談ください。

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